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父の入院。: いつかきっとドットコム

父の入院。

2013年01月10日

2013年1月7日。
実家の父、入院。

病名は脊柱管狭窄症
数年前から腰痛に悩まされてて、
痛みからヒョコタンヒョコタンと
体を揺らして歩くようになっていた。

「年だから・・・(この2月で86歳)」

マッサージやヒアルロン酸注射などの
対処療法でしのいできたものの、
昨年10月あたりから自立方向が困難に。

ちょうどその頃、所用で帰省し
リビングをいざる父の姿を見て
慌てて病院探しを始める。
それまでも実家の皆が差配して
かかりつけのクリニックでの検査はじめ
大きな病院での精密検査をするも
鎮痛剤処方しか治療法が見つからず、
鎮痛剤は効かず痛みに耐える日々。

「一生この痛みが続くのか」

昨年の初夏、上顎洞がんをやっつけた
ターミーネーターばりに頑強な父から出た
嘆きの声を聞いてかなり慌てた私。

もっと早くに動けばよかった。

後悔しながらの情報収集のち病院コンタクト。
結果、我が家からあまり遠くない
鴨川市の亀田病院へ検査入院したのは
昨年12月5日のこと。


精密検査の結果、父の狭窄症は
手術で軽快する可能性大との診断。

約1ヵ月間の自宅待機ののち、
昨日(1月9日)手術しました。

いつも家族の誰かが手術したり、
検査結果を聞くときなど、病院側に
「御一行様」とびっくりされるくらい
たくさん集まる実家の人々も、
今回は遠方ということもあり
手術開始時は私ひとりでした。

8時30分手術スタート。
私はぽつんと待機場所のラウンジで
手術が終わるのを待つことに。


ひとりといっても
午後には長姉がやってくることもあり
不安な感じはぜんぜんなくて。



暢気すぎるんじゃない?
なんて自分でも思うほど。
それはきっと父が手術直前まで
おしゃべりだったおかげ。
おしゃべりは時に薬より効くなぁ、を実感♪

とはいえ、ちょっと困ったのは
手術が終わるまで飲食禁止の
ラウンジを離れてはならなかったこと。


「手術は8時半にスタートし、
昼過ぎの終了予定です。
今のところ不安要素は少ないです」

前日にそう聞いていたこともあり、
手術の間に食事をとろうと思っていた私。

「手術中には予測不能の事態が
起こることもあります。
ラウンジから離れないでください」

考えてみればあたり前のこと。
何度もこういうこと経験してるのに、
今までは他にも家族の誰かが一緒にいて
交代で食事に行ったりしつつ待ってたっけ。

バッグの中にはタンブラーに入った
コーヒーがあるのだけれど、
ここはひとつ手術成功を祈念して
喉を涸らしお腹をグーグー鳴らして
お日さまが東から西へ移動するのを
4時間眺めて過ごすことにしましたです。


「お待たせしました、終わりました」

主治医のK先から声をかけられたとき、
私はラウンジのガラスに張り付いて
上の写真を撮っていました。

手術がはじまった時には
正面に見えていたお日さまのキラキラが
フレームアウトしてました。

手術はおかげさまで成功しました。
父本人は意識もしっかりとして
「早くリハビリをスタートしたい」と
意気軒昂です。よかった、ほっ。


このあとはリハビリと時間薬で
日一日と良くなっていくはず。
ご心配いただいた多くの皆さんに
心から感謝しています。
ほんとうにありがとうございました。


唯一心配なのは、父の独善的性格のこと。
「そこらへんの85歳とは違う。
自分でできることは自分でする」と。

夜中のトイレはナースコールするように
厳に言われているのに一度もせず、で。
家族以外に介助されるのを嫌がります。

それはそれで分からなくもないけど、
父のようながんばってしまうタイプが
転倒を起こしやすい傾向にあるらしく・・・。
なにしろ頑固ですしね。
今後リハビリがはじまり歩けるようになって、
「あともう少し」となった時点が
危険ゾーンだと想像しています。

この点は病院側にも伝えてあり、
私たち家族もできる限り注意すべき点かと。

とにかく父が無事に退院するまでは
頻繁に病院に出入りする私も風邪はじめ
疲労時に出てくる口唇ヘルペスに
おとなしくしてもらわねば。

とにもかくにも手術2日目
今日現在Everything OK!
よかった、ほっ。

(家族と自分メモとして記す)

+++

ケガと病気は誰の身にも起こること。
バランスのとれた食事、適度な運動、
十分な睡眠をとるようにして、
できれば未然に防ぎたいものです。

最後になりましたが、
2013年もどうぞよろしくお願いします♪♪♪



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