「写し」という手法。

【ヒマラヤスギの乾燥した実:7月25日に訪れた神代植物園にて】
自然の中には、同じものはふたつとありません。
同じように見えても、似てはいるものの、一つひとつが違います。
久しぶりに行った植物園で、そんなあたり前なことに感心する自分がいました。
話は変わりますが、
先日読んだ本で、陶芸では「写し」という手法があることを知りました。
「写し」とは先人の作品を再現すること。
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「写し」とは、ものの形に似せて作るだけではなく、
そこにある美しさも一緒に「写す」こと。
自分の主張が強すぎると、「写す」ことはできない。
似たようなものでよいと思って作ったものは「写し」ではなく、それは「模り」。
「写す」とは、先人の思いを想像しながら、
極限まで小さくした自分の作意をオンすることでできる手法なのだと、
その本には書かれていました。
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デジタル一眼レフカメラを持ってから、
それ以前に比べてたくさんの写真を撮るようになりました。
小さな親友が私の仕事をカメラマンだと思っていると聞いておかしくなりました。
それくらい、彼女の中の私は「いつも写真を撮っている人」に映っているようです。
これからは、なにを撮るかではなく、なにを写すかを考えて撮ろう、そう思ったり。
陶芸の本を読みながら、
これからの自分のベクトルについて思いを馳せていました。
自分の思いが詰まった新しいベクトルがどこに進むのかは私次第。
数年後はどんな自分になっていたいのか?
とびきりの理想像を描き、自分の望ましい未来を具体的に想起していく。
そうして、未来の視点から現在(過去)を振り返り、
今から数年のあいだにどんな課題を解決したらいいのか、
どんな行動をとればいいのかを描きながら行動していく。
未来の自分を妄想することは、理想の自分を発明すること。
いつかきっと、未来にいる理想形の自分に会えることを思い描きながら、
Just do my best の毎日を・・・。
そう書いたのは4ヶ月前のこと。
漠然とした思いが少しずつ形になったきたかな?
さて今日も今日とて「思いの棚卸し」をしつつ、自分を「写す」ことにしましょうか。

この睡蓮も、きれいな花を咲かすために、
水中では泥にまみれつつ根を張っているのだものね。
【今日のいつかきっと】
夢にゴールを作ること。すなわち、やるべきことの締め切り設定!
ぐっ、締め切りという言葉は苦手ですorz
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